コロナな生活、一年経過。
アメリカ大統領が変わったり、地元千葉ではチバニアンが正式決定されたり(爆)と2020年は様々なことが起こりましたが、やっぱり世界を震撼させた出来事と言えばコロナ。
コロナで世界がてんやわんやになって、あっという間の1年。
ちょうどその衝撃がアメリカにも走った3月に、私も実は当時勤めていた会社からクビを言い渡されてました。
自分には合わないと感じていた仕事だったけど、自分なりに必死にやっていたのでもうびっくり仰天雨あられ。
自分の収入が無くなるのが不安になったのと同時に、
自分の無力さが悔しくなって、解雇宣告をされた日は不覚にも会社のトイレで泣いた。
*イメージ図
あぁ、こんなだったら転職なんてしないで楽しかったバイトを続けれてばよかったなぁ。
なんて生産性のない事を思いながらその日を適当にやり過ごした。
その後はコロナの不安がさらに広がっている中で、先の見えない毎日をただただくだらない動画を探しつつ職探しに費やした。
世界中の人たちが職を失っている真っ只中。
私も同様になかなか仕事が見つからずに、希望が見えずに消えていく時間がメンタルの急所を突いてきた。
もう落ち込んでるだけの毎日も嫌だったから、職を失った話をネタにして家族友達に話すしかなかった。
みんなが「まじでwww」って言って、笑って良いのかわからない表情でも、ちょっとだけでも笑ってくれるのが気の救いだった。
クビになった話をネタにして、人に話してるうちに1ヶ月ほど経った辺りに、名も知れているA社から声がかかった。
もちろん断る余地などない。
すぐさま返事をして、必要書類も光速で全部出して、2週間後に予定した勤務開始日を待ち侘びた。
勤務開始日3日前になっても何も連絡がなく、不安になって連絡を入れても何も返事が来ず。
勤務開始予定日の当日になって、勤務開始が1ヶ月先延ばしになった連絡を受けた。
仕事がないよりマシだと思って、待った。
1ヶ月延期された開始日に、また2週間、開始日が延長になった。
仕事がないよりマシだと思って、また待った。
また2週間延期された予定開始日に、また1週間延期になった。
結局、2ヶ月半待たされた。
コロナの影響で環境が整わないから待たされるのはしょうがないと割り切ってたけど、改めて考えるとだいぶ待ったな。
1ヶ月待たされた辺りから、予定が未定すぎたので就活を続行してたのが吉と出て、仕事開始を待つ間にちょうど気になっていたB社の面接にこぎつけた。
そしてめちゃくちゃ運良く、仕事がもらえることになった。
2ヶ月半待たされた会社には、断りの連絡を入れた。
だいぶ待たされたし、担当者の人も理解してくれてあっさり承諾してくれるだろうな、
と思っていたが、まさかの
「明日から働けるから!給料も上げるよ!だから他行かないで頑張ってくれない?」
とのこと。頑張って待ってたんだけどな?
ちなみに前日に1週間延期の連絡が入っていたので、明日から働けるって話も信用できず、丁寧に断った。
そしたら
「じゃあ誰か紹介して」と。
DV男に別れ話した直後に、他の女紹介しろって言われたのかな?と錯覚するくらいのひどい対応だった。
そんなすったもんだもありながら、7月に無事に契約社員としてB社に入社し、11月になんと正社員にしてもらえた。
本当に私は運が良いと思ってるし、この状況の中で仕事をゲットできて本当に、本当にありがたい。
コロナで世界が揺れていたと同時に、私の心も揺れていた一年。
仕事を無くした不安に、急所をつかれ過ぎて、瀕死のポケモン状態の時も多かったけれど、そんな中でも思わず笑ってしまうような話をしてくれる家族友達は、ポケモンセンターの様に私を癒してくれた。
本当に感謝しかないし、そんな家族や友達がいる私は本当に幸せ者だ。
今ではこのコロナ時間のおかげで、
自分はどうなりたいか
自分に大切なものは何か
を気づかせて考えさせてくれる良い機会になったなって捉える様になれた。
この時間のおかげで本職以外にも、ブログとか写真とか、自分でやっていきたいことなどを積極的にやっていきたいし、コロナ2年目は前年よりもっと充実した毎日を過ごしていきたい、って思える様になった。
残念ながらまだコロナは終息していない。
これからいつまで人を避ける生活が続くかもわからないけど、可能な範囲で行動できることはしていって、コロナと共存しかなきゃいけないのではと思ってる。
まだまだメディアではナーバスになるニュースに溢れているから、
そうゆう不安要素にのまれない様に
自分を見失わない様に
もう聞こえないふりをしてでも、明るい未来に目を向けて進んでいかなきゃいけないじゃないかな。
*イメージ図
これからも体に気をつけて、
一日一個でも笑いを見つけて楽しく過ごしていこう。
ふざけながら、たまに真剣に、
毎日過ごしていこう。
コロナ2年目も皆さんご自愛ください。